たかゆき
亀戸のご当地ヒーロー「カメイダー」の作曲家と、ボーカロイドで楽曲を制作する「ボカロP」として活動。
音楽の専門学校「東京ミュージック&メディアアーツ尚美」を卒業後、2008年から音楽活動を開始する。
音楽ジャンルは「ポップス」「ロック」「バラード」「EDM」と、幅広く制作。
並行してWeb関連の仕事に携わり、そこで培ったWebマーケティングの経験を活かし、独立して自身の音楽サービスを立ち上げる。
楽曲提供はもちろん、作曲のやり方を教えている。
1991年 | ヤマハ音楽教室に入会 |
2006年 | 東京ミュージック&メディアアーツ尚美に入学 |
2008年 | ボカロPとして活動を開始 |
2010年 | カメイダー作曲家としてデビュー |
2018年 | 独立して音楽サービスを立ち上げる |
幼少期から音楽に興味を持つ
はじめまして、作曲家のたかゆきと申します。
この度は、私のホームページにご来訪いただき、ありがとうございます。
私が音楽をはじめたきっかけは、幼少期までさかのぼります。
自宅にはチープなキーボードがあり、幼稚園から帰ったらそれを触るのが日課でした。
外でかけっこやドッジボールをするよりも、家で遊ぶのが好きな子供だったのです。
そんな私を見た母は、「ピアノ習ってみる?」と私に提案しました。
少し不安を感じつつも、「うん」と返事をしたことを覚えています。
この時、まだ4歳だったそうです。
それから「ヤマハ音楽教室」に入会し、エレクトーンのグループレッスンを経て、ピアノの個人レッスンへと移ります。
ピアノが好きだった私は、努力という感覚はなく、進んで練習に励みました。
中学では合唱祭でピアノの伴奏を務め、伴奏賞を受賞したことも良い思い出です。
そんなこんなで、高校に入学するまでの12年間、ヤマハ音楽教室にはお世話になりました。
高校ではギターやドラムにも手を出し、より一層音楽の魅力に浸かっていきます。
この頃から進路を意識しはじめ、将来は音楽に関わる仕事に就きたいと、強く思うようになります。
それから高校を卒業し、夢に向けて新たな一歩を踏み出します。
悩みに悩み「作曲」の道へ
高校を卒業したら、音楽関係の学校に進学することは決めていましたが、ここからが難しいところです。
ひとえに音楽と言っても、学科は多岐に渡り、学校によって強みもさまざまです。
私は入念に調べ熟考し、「東京ミュージック&メディアアーツ尚美」の、「作曲学科」への入学を決めました。
しかし、この頃はまだ「自分が作曲なんて…」と、だいそれたものに手を出すような不安がありました。
それでも、物作りが好きなこともあり、作曲という分野に最も惹かれたのです。
尚美に入学してからは、多くのことを学びました。
音楽理論や楽器の奏法、パソコンで作曲を行う「DTM」や音声の収録方法など、とても貴重な知識を得ました。
そして、なによりも掛け替えがないのが、人との出会いです。
授業で得たものを上回るほどに、そこで知り合った友人たちとの繋がりが、一番の財産です。
あっという間に月日は流れ、尚美も卒業間近という時に、悲しい事件が起こります。
私の最も親しかった友人が重い病気で倒れ、意識不明となり、一切の連絡が絶たれたのです。
サークルを結成し、一緒に音楽活動をしようと、意気込んでいた矢先の出来事でした。
その後どうなったのかは、現在でも分かりません。
彼の分まで頑張ろうと、心に決めました。
「SURROUND ATTACK」始動
尚美を卒業してすぐに、2人の友人とサークルを結成し、音楽活動をはじめました。
サークル名は「SURROUND ATTACK」、両耳を取り囲むようにアタックするイメージで、命名されました。
この当時、今では誰もが知るボーカロイド「初音ミク」が発売されたばかりで、話題沸騰でした。
以前からボーカロイドに興味があった私たちは、流行にあやかり初音ミクを購入し、晴れてボカロPとなります。
活動内容は、音楽CDを制作して「コミックマーケット」「M3」「THE VOC@LOiD M@STER」といったイベントに参加し、販売することです。
専門学校を卒業しただけでは、まだまだ素人の域を出ないので、とにかく楽曲を制作して腕を上げることが先決です。
また、幼い頃から絵を描くことが好きだった私は、CDジャケットのデザインも担当しました。
初音ミクのイラストを描くことも、私のスキルのひとつとなりました。
そして、並行して就職活動も行いました。
パソコン作業が好きなので、Web関連の会社に就職し、結果的にWebマーケティングの経験を積むことになります。
このオフィスワークが、後に悲劇を生むことは、まだ知るよしもありません。
カメイダーとの出会い
音楽活動をはじめて2年ほど経過した頃、尚美の友人のひとりから、ある連絡がきます。
知り合いのボーカルの方から、オリジナル曲を作りたいというお話があり、作曲家に私を推薦してくれたのです。
そのボーカルの方というのが、カメイダーの「白銀(しろがね)」役を務める、石田圭佑さんでした。
同じ尚美の卒業生だったらしく、学科は異なりますが同期とのことでした。
それから、石田さんと直接やり取りをし、ご要望に沿って曲を作り上げていきます。
ご当地ヒーローのテーマソングという、今までに作ったことのない音楽ジャンルだったので、不安はありました。
しかし、それまでの音楽活動の経験が活き、ご満足いただける曲に仕上げることができました。
カメイダーの事務所の方からも評価され、これを機に戦闘曲や挿入歌など、引き続き作曲のご依頼をいただけるようになりました。
テーマソングと戦闘曲は、念願だったカラオケ配信もされ、自信をつけていきます。
挫折とはじまり
それから8年あまり、Web関連の会社に勤めながら、副業という形で音楽活動を続けました。
続けてみて分かったことは、音楽だけで生計を立てることは、本当に難しいということでした。
それでも、音楽を続けられるなら副業でも良いかな、と思っていました。
しかし、長い年月を掛けて、オフィスワークで精神がむしばまれていくのを感じていました。
私は、先天性の感覚過敏があり、恐らく原因はそれでした。
几帳面で完璧主義という性格も相まり、仕事を辞めざるを得ないほどに、疲弊していったのです。
しばらくの療養を経て、このままではいけないと、ある決心をします。
本気で音楽を本業にしよう、と。
個人での活動であれば、続けられる自信があったのです。
そのために、私は勉強しました。
そして、どうすれば自分の音楽に付加価値が生まれるか、考えました。
あなたは、作曲に興味はありませんか?
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そして、私自身も作曲をしつつ、作曲の楽しさをお伝えする活動を行っています。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。